ひょいと四国へ 晴れきってゐる
放浪の俳人・山頭火は年を取り、もはや行乞の旅に耐えうる体力もなく、疲れ果てた。人生の最期を迎えるにふさわしい土地をどこにすべきか、親友の大山澄太に相談した山頭火は、人情の厚い伊予の松山がいいと言われ、澄太に紹介状を書いてもらった。
それを携え、ひょいと四国へ渡ってきたのが昭和14年10月1日。戦争の影が色濃くなり始めたころだった。
四国の人たちは山頭火に出会い、名の知られた俳人ではあるが、あまりの風体の汚さに驚いた。それでも、なにくれとなく山頭火の面倒を見た。
酒飲みの山頭火は、たび重なる借金、無銭飲食、そして半ば押しかけともいえそうな突然の訪問で相手に酒席を設けさせるなど、さまざまなトラブルを起こしながらも、気持ちの温かい人たちに見守られ、大好きな温泉に浸かって余生を過ごしていた。また、念願の自由律俳句結社「十六夜吟社」を再興し、「柿の会」の名で句会を開き、松山近辺のそこかしこで多くの秀句を詠んでいった。
本書では、山頭火の世話をした高橋一洵や藤岡政一の回想をはじめ、一洵や政一の子息、酒友・清水恵の子息など、終焉の地ならではの多くのゆかりの人々が寄稿している。
また、山頭火の著書が多い村上護氏や、山頭火のテレビドラマ「何でこんなに淋しい風ふく」の脚本を書いた早坂暁氏など、愛媛出身の作家も寄稿している。
このほか、山頭火の生きた時代がわかるよう、当時の風景写真や風俗写真、世話をした人たちの顔写真なども多用し、山頭火の最晩年がどのようなものだったのか彷彿とするよう編集した点が、これまでにないものとなっている。
また、終の住処となった一草庵の変遷や、句碑の場所、山頭火の日誌などが収蔵されている松山市立子規記念博物館についての紹介もされている。
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