この凧は南方系か大陸系の凧のように見えます。
天正の頃、会津を領していた切支丹大名蒲生氏郷が長崎から
伝えて来た南蛮文化と共に移入したという説と、明和年間に
足立仁十郎という貿易商人が人参の指導や買い付けに来た折に
唐人凧も持参したという説があります。凧の表面には、絵を描いた後、
3ヵ月後に柿渋を塗るそうです。この凧の絵柄は『火伏せの龍』です。