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また、寛文年間よりは、西条藩主、小松藩主の信仰が特に厚く、神殿の修理、神器、神宝の奉納が数々ありました。
明治初年、明治天皇の大命により神仏混淆が禁止された当時、石鎚神社は県社の社格に列せられていました。その後、大東亜戦争の終了と共に、全国の神社は神社本庁に包括される宗教法人となり、石鎚神社は従来の官国幣社と同格の別表神社という待遇を受けました。
これと共に、石鎚信仰の神仏混淆という特殊性等を生かすために、石鎚神社の傘下宗派として、宗教法人石鎚本教を創立しました。これにより、神社のみでは発行できなかった教師免状や、教会設立の便宜を図ることができるようになり、国内はもとより、遠く海外まで信徒、崇敬者の輪が広がり、神社、本教一体となって発展し、現在に至っています。
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